心に響いたので〜詫び〜

母親がずっとしていた茶道、反抗期から私はやらないと決めていた。

けれど、年齢が上がるに従って、茶道に関しての文章を見て、ハッとすることがあります。

最初に習うお手前が、実は、奥深い、、、何十年も経ってから、感じます。

自分の中心を保つ事、それを、理屈ではなく、形から入っていく。

扇子を置く、自分と他人の位置を決める?

自分の絶対に人には踏み入られない空間を確保する?

手を自然と前に出しての自然なお辞儀。

他人が力を加えてもブレないであろう、中心をちゃんと無意識のうちに取れる。

足を揃えて、状態を起こして、すっと、丹田に力を入れて起き上がる。

肉体の中心を捉えている動き。

全ての動きに、無駄がなく、シンプル。

80過ぎて、茶道教室をしている母のところにいらっしゃる生徒さんは、

きっと、静かなシンプルな動きの中で、瞑想をしているような感じなのかもしれないと思ったりします。

日常では、わさわさ、色んなものに、振り回され、本来の自分が波打った状態。茶道をする事で、様々な雑念がおさまり、自分自身を取り戻すのだろうなと、思うのです。

もう少し、おばあさんになったら、ただ、お茶を静かな空間で、楽しむのも良いなぁ

樹木希林さん主演の、日日是好日、他人から見たら、あんな感じの先生です。

母を見ていると、教室の準備と、後片付けに、結構な時間がかかります。

着物をきたり、面倒な事が多いなと、思いますが、また、私の感じ方も変わるのかもしれません。

〜〜出口光さんのメルマガより引用です〜〜


みなさん、こんにちは。

「侘び」という言葉は、だれでも聞いたことがある
日本文化の特徴を現わす言葉です。

武者小路千家の次期家元の千宗屋は、その著「茶」で、
大徳寺の故立花大亀老師の言葉を記しています。

「相手のために出来る限りのことを尽くすのだけれども、
そのせい一杯にも物理的には限りがある。
それをごめんなさいとお詫びする、その『お詫び』の気持ちの顕れが
『侘び』だと。」

確かに肉体を持つ私たちには、物理的な限界があります。
しかし大亀老師の言葉は、おもてなしをしようとする心は、
自分のできることをはるかに超えて大きいことを意味しています。

人間の精神の偉大さを知る人の言葉です。
そのせい一杯を現したときに、形に「侘び」として、
客に感じられるのでしょう。
そしてそれを受け取る日本人の感性も凄い。
これこそ日本文化の凄みではないでしょうか。

最後の1%に神は宿る!

もしそうなら、単なるわびではなく、「侘び」は輝きを放つはず。

もしあなたに「3」の力があるとき全力の「3」の力を出せば、
輝き感動を呼び起こすだろう。
でもあなたに「8」の力がついたとき「5」の力しか出さないなら、
以前の「3」の力よりも多くの力を出しているが、
そこには輝きも感動もないのです。

今の自分にできるかぎりのことをする。
これが「侘び」の本質ではないでしょうか?!


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