YOGAの流派や歴史いろいろ

ヨガの歴史
自分のための記録ですが、ご興味ある方は、どうぞご覧ください。

〜〜まずはこちらの、綱島ヨガのルーツ〜〜
綱島ヨガのルーツはビシュヌ・ゴーシュのヨガ

ビシュヌ・ゴーシュは、パラマハンサ・ヨガナンダの一番下の弟

そのまたルーツは、ヨガナンダ、映画“永遠のヨギー“の中では下記のように表現されていました。

パラマハンサ・ヨガナンダが伝えるクリアヨガ(瞑想、ラジャヨガ)は、基本的にハタヨガはしません。

青少年をインドのランチに作った学校で育成する時には、ハタヨガの指導もあったようで、永遠のヨギー、(映画、ヨガナンダについて)の中にもその様なシーンが出てきます。ゴーシュ氏はそこで生徒として84のポーズを学んだようです。

84のポーズというのは、こちら綱島ヨガのルーツです。

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下記の英語部分、一部抜粋、ヨガナンダがインドのランチで始めた学校で、ゴーシュに84のアーサナを指導しました。その後ゴーシュ氏はカルカッタでヨガの学校を開きます。今でもその学校はあります。84のポーズの由来は良く分かっていないようです。ヨガナンダのグルのグル、ずっとたどると、ババジ 、という説もありますが、ハッキリとはわかりません。

Yogananda introduced Ghosh to yoga at his Ranchi School for Boys in Bengal, where he was one of the first seven pupils. As well as Yogananda’s set of 84 “Yogoda” asanas gathered from different sources, his brother taught him the dramatic abdominal muscle isolation exercise traditionally used in hatha yoga as the purification (shatkarma) known as nauli; Yogananda had used the exercise to impress Western audiences with his muscle control. In 1923, at the age of twenty, Ghosh opened the College of Physical Education in Calcutta, today run by his granddaughter Muktamala Ghosh under the name Ghosh’s Yoga College. In 1925, he trained in physical education at the University of Calcutta, taught according to India’s traditional (medieval) physical culture of training, diet, and lifestyle. The equipment consisted of rough “nal” stones with a hole for use as a handle.[1][3][4]
In 1930 he published his book Muscle Control, which relied heavily on the German bodybuilder Maxick (Max Sick)’s 1913 book of the same name.[5][1][2] The book features his adoptive nephew, Buddha Bose, demonstrating nauli and uddiyana bandha; Bose wrote a manuscript on 84 Asanas, not published until the 21st century.[6]
In 1939 Ghosh went to America and taught at Columbia University, New York. In 1968 he went on a lecture tour of Japan.[2]=

https://en.wikipedia.org/wiki/Bishnu_Charan_Ghosh

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Bishnu Ghosh established the Ghosh College of Physical Education in 1923 based on the foundation of the Yogoda system of 84 āsanas that he learned from Yogananda

He concludes in his writing “thus we do not have access to an ancient tradition of eighty-four āsanas, or to a tradition from which modern āsana system can be derived. There is also no evidence that such a tradition ever existed”.[31]

Bishnu Ghosh died in India at the age of 67 in 1970.   His brother and personal guru, Yogananda, had died in Los Angeles, California in 1952 at the age of 59.

世界中に広がる、ビクラムホットヨガは、ゴーシュ氏の弟子、ビクラム氏が日本でキッカケを作り、後に広まりました。

〜〜ここまで綱島ヨガのルーツ、ゴーシュ、ヨガナンダについて〜〜

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〜〜日本での第一次ヨガブームの時の一派、友永淳子先生は
シバナンダヨガ(リシケシュ)の系統です。
シバナンダhttps://sangashonan.com/yogaguru/sivanannda/

1920年出家、
Vishvananda Saraswati, シバナンダのグル
vishnudevananda saraswati、シバナンダの弟子
シバナンダは、医者で、ヨガも学び、広めた方だそうです。

〜〜ここまでシバナンダヨガ〜〜

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〜〜アイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ〜〜
クリシュナマチャリアがルーツです。2つの系統に分かれていきます。
→アイアンガーヨガ
→アシュタンガヨガ(マチャリアの弟子であるパタビ・ジョイス師に教えたアシュタンガヴィンヤーサヨガは、当時若かったパタビー・ジョイスを含めてマイソールの若い男子宮殿兵士たちの訓練に使われたそうです。身体能力を高める手法としてのヨガがこうして確立されてゆきました。)
さっと戦いに出られる身体を鍛えるヨガとしてできあがったと聞いています。

アイアンガーは、お姉さんが、クリシュナマチャリアと
結婚した事でヨガを学ぶことになったそうです。

伝説の書「ヨガ・クルンタ」!?
ヤシの葉に書かれていたそうです。ヒマラヤのカイラス山で7年半修業した時に、クリシュナマチャリア師はヨガスートラと合わせて、丸暗記していたみたいです。その書が虫に食われてしまっても問題なく、そらんじられたとのこと。何が書いてあったのかは不明ですが、個々に合わせる重要性が説かれていたのだと予想されます。彼の弟子であるパタビ・ジョイス師に教えたアシュタンガヴィンヤーサヨガは、当時若かったパタビー・ジョイスを含めてマイソールの若い男子宮殿兵士たちの訓練に使われたそうです。身体能力を高める手法としてのヨガがこうして確立されてゆきました。

クリシュナ・マチャリアは、夢の中でご先祖様よりヨガを伝えられたそうです。以下、ネット情報です。
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ティルマライ・クリシュナマチャリヤ先生は、追究の人、使命の人でした。産まれは、1888年。9世紀に現れたヴィシュヌ派の聖人であり、指導者として有名なナタムニ先生の子孫として生まれました。

ご自身のお父さまがインド最大最古の経典、ヴェーダの先生で、小さい頃からヴェーダの詠唱、ヨガのポーズや呼吸法の練習をされ、ひいお爺様が司祭であり教育をされているヴィシュヌ派最大のセンターにて、サンスクリット語の文法やヨガ哲学を別の角度から深めたともいえるヴェーダーンタ哲学などを学び、直ぐに教授や学者たちと議論を交わすまでになられました。

そんなクリシュナマチャリヤ先生ですが、16歳の時、ご先祖さまであるナタムニ先生が、夢の中でご自身の前に顕現され、失われたと誰しもが思っていたナタムニ先生ご自身のご著書、『ヨーガ・ラッシャ』の内容を全て伝えられる、というご経験をされています。

1000年以上も昔のご先祖様のご著書の復刻、という使命を、自分の役割として与えられた、ということ。

ただ、16歳の自身にとってその事を証明する、のは容易い事では無い、と悟られ、クリシュナマチャリア先生は直ぐに知識を確立し信頼を得るべく勉学に更に勤しみ当時驚異の速さで教授になれるだけの試験をクリアしました。

その試験を合格し、教授にならない人はいない時代でしたが、彼はインドの教えはとても深く、全ての教えがつながりあっている為、もっと学ぼう、と、全ての時間を更なる学びに費やされました。

マイソールとインド最大の聖なる街、そして主な学者や知識人が学問を続ける街とされるヴァラナシの各学問機関で、幾つものタイトルを取得し、試験をクリアし講義も始めていたクリシュナマチャリア先生は、その州の王さまに政府の仕事も頼まれたりもしましたが、今度はヨガチャラになりたい、つまりヨガをマスターをしたい、ヨーガ・スートラのマスターをしたい、という気持ちが湧き上がり、1916年、彼が28歳の時、偉大なヨガマスターに出逢うべく、丁重に辞退し、大学や鉄道会社や英国総督の助けを得て、ヒマラヤを超えインドを出てチベットに向かいました。

その道のりは遥か遠く、クリシュナマチャリア先生のお弟子さんでもある、世界的に有名なアシュタンガヨガの開祖、パタビジョイス氏も、「あんな長旅は誰もできる事では無い。彼の決意だけが彼をグル、師匠の元に導いた。」と尊敬の念から涙ながらに語られたほどです。

ヒマラヤ山脈カイラス山の麓でヨガの師匠を遂に見つけました。クリシュナマチャリア先生はその隠者に教えを請い、そして8日間にも渡るテストの末、家族として受け入れられ、それから7年半もの間、ラマ・モハナ・ブラフマチャリ師匠の元、ヨーガ・スートラや『ヨーガ・クランタ』他、ヨガの重要なテキストを学んだのでした。

全て、暗記する形です。『ヨーガ・クランタ』は、ヨガのポーズ、アーサナや、呼吸法、プラナヤーマをどの様に異なる個人のニーズに当てはめるのか、また、どの様にプロップスなどを使い癒すのか、などが書かれており、現在のアシュタンガヨガの元になりました。

7年半が過ぎようとした頃、ラマ・モハナ・ブラフマチャリ師匠に言われました。「もうあなたは十分に成長した。社会に戻り、結婚をし、ヨガのメッセージを広げなさい。それが”グル・ダクシナ”、私があなたに教えたことに対して、私があなたに望むことです。」と。

〜〜ここまで、クリシュナ・マチャリア〜〜

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ここまでで大きなハタヨガの大まかな流派、歴史が掴めるのではないかと思います。夢の中で掲示を受けたり、ある時以前は不明だったりです。

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★以下は自分の忘備録
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヨーガ
ウキペヂィア
下記はババジの弟子?
1、ナンディー・デーバル
2、アガスティア
3、ティルムラル
4、ポーガナタル(老子)
5、コンカナバル
6、マッチャムニ(マティセーンドラナート)
7、ゴーラクナート
8、サッタムニ
9、スンダルアナンダル
10、ラーマ・デーヴァル(ヤコブ)
11、クダンバーイー
12、カルヴッラル
13、イダイ・カダル
14、カマラムニ
15、ヴァールミーキ
16、パタンジャリ→YOGA
17、ダンヴァンタリ
18、パームバッティ

★「あるヨギの自叙伝」の中で、ババジ はラヒリマサハヤに、、、、、「クリシュナがアルジェナに授け、後に、パタンジャリ、キリスト、ヨハネ、パウロ、、、、、」

★ヴェーダ、起源は古く不明。吟誦形式。紀元前3000年頃までは、口述伝承。4つに分類記述。かみの最も古い真実が記述されている。
★クリアヨガについて
ゴーヴィンダンのグルのグルがババジである。つまりゴーヴィンダンはババジの孫弟子
★ババジの主神はシヴァ神であり、支持者の中にはババジを弥勒というひともいる。
https://www.babajiskriyayoga.net/japanese/babaji.htmババジサイト
https://ameblo.jp/ks600x/entry-12172991210.html
https://ameblo.jp/ks600x/entry-12172991210.htmlSRFとの溝
https://ameblo.jp/ks600x/entry-12173326264.html
https://uchikoyoga.hatenablog.com/entry/20081024/1224865325うちこ
★その他、ラマナ、マハリシ、シャンカラ
★バガバンクリシュナビシュヌの化身?

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